ITバブル絶頂期の2000年、成毛眞氏はIT業界を代表するマイクロソフト日本法人の社長の職を辞し、自らの会社を起こした。安定を捨てて始めたのは金融とコンサルティングの事業。その決断の背景には、どんな想いがあったのだろうか――。(構成:中嶋嘉祐、撮影:江木康人)
500ドルから3760億ドルへ

世界屈指の時価総額を誇るマイクロソフト。ITバブル絶頂期には時価総額3760億ドルにも達したが、設立時の資本金はわずか500ドルだったという。
500ドルから3760億ドルへ――。成毛眞氏は、全社員が世界でもわずか30人程度だったころから同社の成長を支え、1991年から2000年というIT業界がまさに成熟せんとする重要な時期に、マイクロソフト日本法人の社長を務めた。まさに立志伝中の人物である。
「大学を卒業して最初に入ったのは自動車部品メーカー。事務職として初めて新卒採用されたのが私だったようで、営業から始まって、購買、PCの導入、事業所の立ち上げと、どんな仕事でも自由にやらせてくれました」。海外企業との商談をまとめ、材料である鉄板の仕入れ値を抑えようと鉄鋼最大手の新日鉄に掛け合い、大阪事業所の初代所長を務めた――。「3年も経てば今の仕事で知らないことはなくなったと思いました。次はまだ経験してないことをやろうと、記者になろうとしたんですよ」。好きなコンピュータ雑誌を眺めていたところ、出版元であるアスキーの求人情報を見つけた。応募したところ、念願かなって採用となったが、喜びもつかの間、翌日にはマイクロソフトの極東代理店だったアスキーマイクロソフトへの出向を命じられた。「その時は、マイクロソフトが何をやっているかさえ知らなくて。Windows以前のOSだったMS-DOSすら世に出ていないころでしたね」
伸びる産業じゃないとつまらない
時代の追い風も手伝ってか、マイクロソフトは爆発的な成長を続けた。しかし、成毛氏は2000年に同社を突如退職。戦略コンサルティング、ファンド運営、直接投資を事業とするインスパイアを設立した。「伸びる産業じゃないと、働いていてつまらない」というのがその理由だ。
とはいうものの、インターネットの領域を含め、IT業界にはまだ成長の余地があるというのが当時の認識ではなかっただろうか。だが、成毛氏の見方は違った。「まず、IT業界とインターネット業界は別物として考えないといけない。IT業界はあくまでコンピュータやソフトを作って売るという仕事。そう区分すると、2000年ごろにはIT業界にも旧態然としたところが表れ始め、もう終わりが近いと感じるようになりました」。マイクロソフトは勝ち組として残ったものの、同氏の予見通り、当時のIT業界を代表する企業のうち、ロータス、ノベルといった企業が相次いで市場から姿を消すことになった。「市場の伸びないところで事業をやるのは楽しくありません。相手からどうやってシェアを奪うかしか考えることがありませんから。新しいチャレンジングな産業を狙わないと、苦労するだけです」
インターネットや携帯電話といったこれから伸びる業界を選ぶという道もあったが、「基本はIT業界と大きく変わらない」と考えた。そして選んだのが金融とコンサルティングの事業。今後、一番伸びるのは金融だろうという読みがあった。実際のところ、ファンド運用に企業再生、不動産の証券化と、金融ビジネスはここ数年で急成長を遂げている。